EOS 5D Mark IIはゼロ戦だった。
ネット上ではEOS 5D Mark IVの噂が飛び交っているが、そもそも我々プロユーザーがEOS-1Ds系からEOS-5D系へと移動した経緯を考え直してみたい。
元を正せば自分はデジタルカメラの最初期モデルはEOS D60であったが、それらでデジタルカメラの基礎を身に付けてからはプロ機であるEOS-1Ds Mark IIに使用機種は移っていった。そしてその後継機種であるEOS-1Ds MarkIIIも使用していたがその直後に販売されたEOS 5D Mark IIには幾つもの箇所で今まで使用していたEOS-1Ds系から大きな飛躍が幾つも盛り込まれていた。
- 静止画と動画を1つのボディーに搭載。
- ライブビューモニターの高密度化。
- 高感度性能の進化 などなど。
ちょうど発表直後にメーカーからギャラリーページの撮影というお仕事もいただいたので一般の方よりかなり早い時期にEOS 5D Mark IIは使用していた(なおこの時に今は退職されているメーカーの方から「半径数キロ人がいない場所で秘密裏に撮影してほしい」と恐い顔で言われたのを今でも思い出す)が、使えば使うほどEOS-1Ds系よりもコンパクトで軽く高感度性能を活かし夕暮れや夜明けでも手持ち撮影ができ、ゆとりがあればフルハイビジョン動画までもライブビューで撮影できるというのは今から考えても驚異的なモデルだった。もちろんAF性能などはEOS-1Ds系から比べるまでもなく脆弱ではあったが、自分自身がその頃魅力を感じていた月光や星空などの撮影ではEOS 5D Mark IIの機材進化は破壊的なものであり、すでに購入していたEOS-1Ds MarkIIIはAF性能が必要な撮影時以外はカメラバッグの中に埋もれてしまうという事態になってしまったほどだ。
しかし冷静に考えてみるとEOS 5D Mark IIの機材進化はいきなり単独で行なわれたのでは無く、それまでの天体撮影に特化しライブビューを搭載したEOS 20Daやフルサイズデジタル一眼レフとして市場を切り開いたEOS 5Dなど様々な機材があり、それらの経緯を経て辿り着いたのだろう。
個人的な話になるがこのEOS 5D Mark IIを今思うと、先の大戦中に名機と言われた零式艦上戦闘機(ゼロ戦)が生まれた経緯と似ているように感じる。零式艦上戦闘機を生み出した三菱重工はそれより前に欧米の飛行機の模倣を土台としていたが七試艦上戦闘機などで冒険的試作を行いその後の九試単座戦闘機(後の九六式艦上戦闘機)で全体の性能と完成度を高め、そして零式艦上戦闘機でその時代の世界標準を一気に抜き去る飛行機を作り上げた。EOS 5D Mark IIも零式艦上戦闘機も既存の価値観だけでは無く、それまでの価値観を大きく変える力を持った製品であった。
こんな機材の濃いお話が好きな方、はたまた写真撮影が趣味の方はこちらのPodcast Photoralism がお勧め。最近だと【#50】EOS-1D X Mark IIファーストインプレッション にて (波動砲と主砲に例えてEOS 5Ds RとEOS-1D X Mark IIの違い)を熱く論じております。