「ぶどう峠」で。

今から十数年も前になるだろうか、
八ヶ岳付近での撮影を終え秩父を目指して車を走らせていた。
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時期は晩秋の遅い午後。超えていく峠道は彩りも少なく対向車もほとんどいない。
所々にカラ松の林が残りわずかな紅葉を見せていた。
長野県側からの昇りが一段落ついた峠で車を下り、周りの風景を見つめて思い出した。
看板にある「ぶどう峠」とは、「日本航空123便墜落事故」の現場から数キロのところであったことを・・・。

「日本航空123便墜落事故」の発生当時、自分は中学生ではあったが飛行機が大好きな年頃で、
週末は遠方の飛行場へと自転車で向かい旅客機の離着陸に一喜一憂し、
轟音を轟かせてパワフルに飛び立つ旅客機は自分にはあこがれの対象であった。

事故発生の当時、夕刻からの通常のテレビの編成を変更して放送された「報道特番」を見ながら、
相模湾、大島、富士山、大月市・・・ と次々に入って来る地名を手持ちの地図帳にマークしていった。
そしてテレビからは墜落地点とおぼしき場所に「ぶどう峠」という少し変わった名前が響いてきたのは、
夜もかなり遅い時間となってからだったと記憶している。

夕刻も間近に迫った「ぶどう峠」から、「日本航空123便」が墜落した「御巣鷹山」の方向を見つめた。
「あの夏、あの時、あの夜に・・・・」言葉にならない想いが心に湧き上がる。
静かに暮れようとしている山々の中で静かに手を合わせて黙祷を捧げた。

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